Profile

名前・・・中村イオラ

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 住まい・・・東京都下。

年代・・・ロストジェネレーション世代。

職業・・・ファイナンシャルプランナー兼フリーライター。

趣味・・・キャンプ、スポーツ観戦、ブログ。

特技・・・バドミントン。

夢、目標・・・社畜脱出。ノマドワーカーになること。

長所・・・思慮深い。明るい。

短所・・・友達が少ないところ。

好きなアーティスト、アイドル・・・マキシマムザホルモン、ももクロ。

好きなスポーツ・・・サッカー、アメフトその他たくさん。

好きなサッカークラブ・・・FC東京、リバプール。

好きなプロ野球球団・・・西武ライオンズ。

好きな食べ物・・・ラーメン(特にラーメン二郎と横浜家系ラーメン)、焼きだんご。

嫌いな食べ物・・・メカブ、納豆、山芋などのネバネバ系。

好きな国内観光スポット・・・長崎、金沢。

好きな海外観光スポット・・・シアトル、ヨセミテ国立公園。

幼児時代

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3,000gほどでオギャアと産まれてきたわけだが、それはそれは猿のような出で立ちだったとのこと。
「この子は本当に人間の子なのか?孫悟空のように石から産まれた石猿なのではないか?」
と疑われたほどだそうだ。

そんな石猿がいつも健気にう○こを漏らしていたことを思い出す。漏らしたう○こを手にとって大人に見せては怒られていた。それを今でもたまに思い出しては、クスクス笑っていたりする。

幼少時代

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常にボールとグローブを付けて遊んでいた幼少時代。運動神経が良い少年に育っ

常にボールとグローブを付けて遊んでいた幼少時代。運動神経が良い少年に育ったのは、明らかに幼少時代に体を動かしてばかりいたからだと思われ。

幼稚園の年少さんで自転車の補助無しを乗りこなし、振る抜いたバットにボールを当ててはホームラン。キャッチボールは大人の誰もが驚くほど遜色なくこなしていたことを考えても、どこからどう見ても運動神経の良い少年だったことがわかる。

小学生時代

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勉強は割とできた方。小学校6年生まではテストはすべて100点だったかな。
小学校低

勉強は割とできた方。小学校6年生まではテストはすべて100点だったかな。

小学校低学年になると野球よりもサッカーに夢中になる。運動神経が良かった俺は、普通にサッカーも上達していく。エースとしてチームを引っ張っていたわけだが、自分が調子が悪いとチームも負けた。

そして中学年になると、サッカーを辞め野球に打ち込むようになる。元来西武ライオンズの大ファンだったオレの心のどこかに、野球への憧れがあったことは事実。その影響もあって念願の野球の世界へ足を踏み入れたのだった。野球はすぐに上達をし、4年でレギュラーポジションを奪い取る。5年生になるとエースピッチャーで4番を任されるまで上達をした。

しかし…。

小学校5年生の途中に野球を辞めるという事件が起きる。監督が今でいういわゆる“パワハラ体質”だったのだ。傷つきやすい少年だったオレは、「二度と野球なんかやるまい。」とグローブとバットをそっと置いたのだった。

中学校時代

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「何か部活でスポーツはやらなきゃなぁ〜。」という強迫観念みたいなものが

「何か部活でスポーツはやらなきゃなぁ〜。」

という強迫観念みたいなものがあったのは事実。そんな時、小学校からの遊び仲間らが皆でバドミントン部に入部したのがオレの人生を大きく変えた。オレもそれに付いていくようにバドミントン部に入部。いっやぁ〜、甘たった。楽チンかなぁ〜、と思って入った部活は、日本一を狙うバドミントンの強豪校だったのだ。

その厳しさに何度辞めようと思ったことか…。

辛い練習を乗り越えていくうちに、みるみる実力を付けていったオレは、中学校2年生の時にダブルスで全国3位。そして主将となった3年生では団体戦、ダブルスで全国優勝に登りつめた。

しかしその後、燃え尽き症候群により何もやる気が起きなくなったのは、栄光の副作用だったのかもしれない。

高校時代

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全国津々浦々、ありとあらゆる高校からスポーツ推薦での入学の話を頂いていたにも関わらず、近所の都立高校に進学したオレ。
全国津々浦々、ありとあらゆる高校からスポーツ推薦での入学の話を頂いていたにも関わらず、近所の都立高校に進学したオレ。

「あいつなんであんな普通なとこ行ったんだ?」

と周囲に疑問に思われていたのは知っている。そうなんです、オレ、普通になりたかったんですよ。もうね、勝った負けたで一喜一憂したくなかったし、何よりもこれ以上スポーツで怒られたくなかったんです。

…というわけで、高校時代は文武両道ならぬ、遊武両道を極めました。

バドミントンは基本的にはクラブチームで続け、各大会には高校の部所属として出場。遊びも勉強もそこそこ。普通の高校生をしながらスポーツで結果を出そうなんて甘いんですよね。高校では都大会ベスト8がやっとこさでしたね。

しかし中学校時代のバドミントン活動の貯金もあり、U-16日本代表にも選ばれ、イギリス遠征をしてミックスダブルスで世界ベスト8に入ったのはいい思い出です。

大学時代

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都内の3流大学の法学部に進学したオレは、そこでとにかく遊びました。合コン合コンまた合コンの日々。充実してましたね〜。この頃でしょうか。(゚д゚)ウマーなラーメンにも

都内の3流大学の法学部に進学したオレは、そこでとにかく遊びました。合コン合コンまた合コンの日々。充実してましたね〜。この頃でしょうか。(゚д゚)ウマーなラーメンにも目覚めたのも。気が付いたら美味いラーメン屋を目掛けて遠征するぐらいにラーメン好きになっていました。

大学時代はバドミントン部に所属。主将も務め、弱小バドミントン部を引っ張りました。

人生で一番楽しく輝いていた時期を過ごしたのがこの頃だったのは確かでしょう。

社会人.1 〜信用金庫勤務時代〜

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新卒で地元信用金庫に入庫。金融機関への就職に拘っていたわけではなく、就職で困っていたオレに大学の就職部が紹介してくれたのが入庫のきっかけ。ぶっちゃけ入庫しなければ良かった…。と

新卒で地元信用金庫に入庫。金融機関への就職に拘っていたわけではなく、就職で困っていたオレに大学の就職部が紹介してくれたのが入庫のきっかけ。ぶっちゃけ入庫しなければ良かった…。とにかくパワハラ体質の社風にうんざりした。

飲み会の席で、「店長に酒をつぎに行くのが遅い。」という理由で、2次会のカラオケの席で、高卒の女の先輩によってずっと立たされたという屈辱を味わった。

オレはその場を脱走。その後1週間会社を無断欠勤をした。それが引き金になり会社を退職することになった。この頃はストレスからか、耳鳴りやふらつきに悩まされたっけ…。

社会人.2 〜リクルート勤務時代〜

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転職を決意し、次はリクルートにお世話になる。いっやぁ〜、前職とは180度考え方が違う会社で驚かされたっけ。社風も風通しがよく、これまた全社とはベクトルが逆を向いていた。
ここではとにかく営業力を

転職を決意し、次はリクルートにお世話になる。いっやぁ〜、前職とは180度考え方が違う会社で驚かされたっけ。社風も風通しがよく、これまた全社とはベクトルが逆を向いていた。

ここではとにかく営業力を養うことができたかな。売り込むためのプレゼンテーション力はもちろんのこと、データ営業で駆使するマーケティング力も磨かれた。

今のマインドはここでの経験が原点になっていると言っても過言ではない。

社会人.3 〜メガバンク勤務、そして今に至る。〜

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現在に至る。メガバンクでファイナンシャルプランナーとして金融リテール営業に携わる。主に資産運用担当として、お客様の大事なご資産を守る仕事をしている。
パワハラ体質の社風に再度悩まされつつ、次の展望を描いているの

現在に至る。メガバンクでファイナンシャルプランナーとして金融リテール営業に携わる。主に資産運用担当として、お客様の大事なご資産を守る仕事をしている。

パワハラ体質の社風に再度悩まされつつ、次の展望を描いているのが今、と言える。

近い将来、ここを退職し、フリーランスのライターになるのが次の目標。

(END) Thanks for reading!